憂慮
未分類 2017年10月18日 水曜日 9:46:21仕事に行く=怒られに行く の図式が完全にできあがってしまっている
まだ何も起こってないのに、出社すらしてないのに、また怒られる想像が止まらない。
二次妄想だと思う。
はっきりとした理由があり、自分の中ではその思考が止まらないから。
だから…また休んでしまった…
まともに仕事もできず、こんなに休んで、
なんでこんなに何もできないようになってるんだろう。
(ハートをくれたユーザー:るる)
仕事に行く=怒られに行く の図式が完全にできあがってしまっている
まだ何も起こってないのに、出社すらしてないのに、また怒られる想像が止まらない。
二次妄想だと思う。
はっきりとした理由があり、自分の中ではその思考が止まらないから。
だから…また休んでしまった…
まともに仕事もできず、こんなに休んで、
なんでこんなに何もできないようになってるんだろう。
(ハートをくれたユーザー:るる)
仕事で毎日何かしらのミスを犯す。
仕事で毎日何かしらわからないことにでくわす。
単純に自分のミスだったり、
単純に自分の技術不足だったり、する。
だけど何も知らされていないことをやってなくて怒られたり、
わからない、といっているのにいきなり応用まで求められて、それができずに怒られたり。
ただのアドバイスだったとしても、
全て追い詰められる設問に感じてしまう。
何が障害で何が病状で何が性格で何が副作用で何が努力不足なのか、もうわからない
(ハートをくれたユーザー:うみこ)
もともとなんの理由もなく鬱なのだけど。
そこになにがしか追い込まれる理由があると指先から膝から歯までガタガタ震えが止まらない。
それは仕事…業務ができるか、またできたとしてもスピードが追いつくか、そして間違わないかミスしないか、
はたまた家で難癖つけられないか。
全て”怒られないか”という怯え、恐怖からくる。
もうこれは物心ついた時からの刷り込み。
それが今も続いてて、むしろ仕事でもそれが明らかになって、
余計に恐怖が酷くなっている。
そしてその恐怖そのものや、恐怖が現実になったことで、また焦りや罪悪感、劣等感を生み、それはまた違うミスへと繋がる。
常に怯えて暮らす日々、いや、常に怯えて過ごす一瞬一瞬。
いつどこで落ち着けばいいのだろう。
(ハートをくれたユーザー:Nemo, るる, ぎりさん, うみこ)
よく、頑張りすぎないように、
追い込まないように、
適度に休んで、
と先生に言われるけれど、
頑張らないと仕事ひとつできないし、
頑張らないとそもそも起きてられないし、
追い込まないとできないし間違うし、
一度休むと急降下する。
優しい言葉なのはわかってるし、
自分でも休むことは必要だと思ってる。
休むなら一ヶ月働いたら二ヶ月休まないと身体的にも精神的にももたない。
だけどやっぱり頑張らないと生きていけないんだ。頑張らないと起きることひとつできないんだ。
ベーシックインカムは弊害が多すぎるとは思うから気軽に賛成できないけれど、
ひとついいことがあるとすれば、
無理して頑張れないひともいる、ということが理解されるのではないかという淡い期待があること。
でも日本じゃうまくいかないだろうね。
閑話休題
ともかく、一度休むと癖になる。
頑張り続けないと生きていけない。
でも頑張ることが無理になってきてるし、
頑張ることが鬱を悪化させ、
ミスを多発して怒られる、
そしてそれはまた鬱を悪化させる。
なにがブランクによる技術不足なのか、
どこからが鬱によるパフォーマンス不足なのか、
なにが発達障害由来のミスなのか、鬱由来のパフォーマンス不足なのか、単なる技術不足なのか、
どこまで障害者枠の権利としてうったえていいことなのか、わからない。
ともかく頑張らないと簡単なことひとつ、できやしない。
ここまでして頑張る意味ってなんだろう。
どうやったらうまく休めるんだろう。
会社ではミス連発、技術不足、で怒られ、
家ではなにかひとつでもヌケてるとやいのやいの言われ、
安息の時間も場所も、ない。
一番いいのはやっぱり友達に会うことだと思う。
大阪>横浜や島根に行った時は安らいでた。
だけどみんな事情があってなかなか会うこともかなわなくなってて。
俺自身も土日寝込むことが多くて、その日に動けるかどうか、約束がこわい。
そして安らいだことを引きずれず、帰った瞬間現実の厳しさに引き戻される。
どうやったら日々休みを取り入れながらやっていけるのだろう。
(ハートをくれたユーザー:ゆみ, はごろも, りーむ, Nemo, ぎりさん, うみこ)
ここ2,3週、土日の体調の悪さが酷い。
とにかく気だるく、とても起きていられない。
ほんとは仕事の勉強したり、スケッチ描いたり、気晴らしになにかを見たり出かけたりしたいけど、とてもできない。
ほぼずっと寝てる。
寝てるといってもちゃんと眠れてるなら疲れも多少とれるのだろうけど、二日間ずっとうとうと。
そこに輪をかけて月曜日の激鬱が襲いかかってくる。
また、なんでできないの、なんで間違うの、と怒られるのかと思うと余計に。
どんどん鬱で休む日が増えてる気がする。
それがさらに罪悪感をうみ、
だけど発奮することができず寝込み、さらに動けなくなる悪循環。
今日は這ってでも行かなければいけない
でないと休み癖がついてしまう
(ハートをくれたユーザー:えみ, Nemo, ぎりさん, うみこ)
鬱で仕事を休んだ。
休職を除いて二度目。
出社すれば経験ないことばかりさせられて、それ自体はありがたいのだけど、なんでできないの、なんで間違うの、詰められてばかり。
休んだら休んだで罪悪感で鬱が酷くなる。
どうせ鬱が酷くなるならお金を稼げる方を選べばいいのに、
会社の駐車場からなんとか歩いて、でも最後の交差点を曲がることがどうしてもできなかった。
最後のたった30mで行けなくなった。
さっきまで反吐が出るほどイライラしてたけど、
イライラが吹き飛ぶくらい落ちた
(ハートをくれたユーザー:ゆーき, 鉄瓶, うみこ)
生きてることに、反吐が出る
なんにもできない自分が生きてて何になる
鬱には酷く漠然としたしかしはっきりとした憎悪と怒りを感じ同時にそんな自分に自己嫌悪し、自分に反吐が出る。
何もかもがどうでもよくなる。
何もかもがどうでもよくなることそのままに生活できたらどれほど楽か
(ハートをくれたユーザー:ラムネ)
あとどれだけ苦しまなければいけないのだろう
これだけ無理して働いて、
何になるんだろう
これだけ無理して生きて
終わりはいつくるんだろう
別に死にたいわけじゃない、
ただもう疲れた
平日、仕事がある日は仕事が辛くて行きたくなくて、涙が出てくる。
後何年こんなに苦しまなければいけないのだろう。と。
今日は平日でもないのに朝から虚しさで涙が出てきている。
孤独感や劣等感、絶望感とともに虚しさが溢れている。
でもこれも、後何年苦しまなければいけないのだろうと、いうことから来ている。
すがれる、助けを呼べるひとがいれば救われるかもしれないけれど、
彼女もいないしましてや結婚なんてもはや無理。
弱音をはける友達は遠く離れている。
でもそれだって誰かに依存したいだけかもしれない。
でも、「誰か」がいてほしい。
その誰かは誰なのかわからないけれど。
(ハートをくれたユーザー:あさか, らりる玲ちゃん, うみこ, アヴェマリ)
ここ最近、懐かしい友達が出てくる夢をよく見る。
続きを読む
ここ最近、懐かしい友達が出てくる夢をよく見る。
高校の仲良かった奴、
高校の時初めて告白した人、
大学の時の仲間、
大学の時仲良くて憧れてた先輩。
不思議なのはそんなに仲良くなかった、と言ったら語弊があるけど、なんというかそんなに絡んでなかった友達や先輩も夢に出てくる。
相変わらず高校の友達と大学の友達がごちゃまぜになって出てきたりする。
でも小中の友達は出てこない。
やっぱり暗黒の時代だったからかな。
高校の無邪気な時、大学で「仲間」となった人たち、良かった時代に戻りたいという意識が強いからなのか。
無邪気で先のことなんか考えてなくて、
ただただその時が楽しかった時期。
ADHDは出てたのだろうけど、病気なんかしてなかった時期。
あの時のようにわけもなくいつも一緒に楽しめる友達が、欲しい。
(ハートをくれたユーザー:うみこ)
みんなが変化、進化、深化していくことについていけない。
自分はどこかで止まったまま。
高校の時か、大学の時か、最初の職場の時、そしてそこを辞める前後か…
だいたいこの三つの箇所でずっと止まっている。
最近では今年の始まり前後でずっととまったままと感じる。もう10月なのに。
周りの中でひとりだけ取り残されているように感じて哀しくなる。
実際周りは家族が居たり仕事頑張ってたり、いろんな進化をしている。
ひとりどこかでぽつんとしている。
(ハートをくれたユーザー:うみこ, りーむ)
よう、また来たか坊主。
こんな夜中にうろうろしてッとあぶねえぜ。
てめえに売るものなんざねぇぜ、だが仕方ねえな、今日はまけといてやるぜ。
困ったらまた来な坊主。
店員の対応ってこんな感じでいいと思う。
あまりに丁寧すぎると自分が「お客様」と勘違いするひと、たくさん出て来そう
(ハートをくれたユーザー:はなみん2, うみこ, るる, へなちょこ, らりる玲ちゃん)
仕事でミスをやらかす
仕事でわからないことばかりで進まなくて怒られる
そんなことがあった次の日は特に出社するのが怖い。
怒られてるのではなく、ただの指摘なのかもしれないけれど、
自分にとってはただの畏怖でしかない。
全て怒られているように感じる。
そしてその畏怖がさらなるミスを招く。
これは言い訳だけど、幼少からの養育環境によるところが大きい。
何をしても怒られる、少しの間違いやちょっとした忘れもの、それどころかただの八つ当たりでさえも怒られてた。
その頃の萎縮や恐怖の感覚が抜けない。
開き直ることができればいいのかもしれないけれど、それもできない。
ずっとこのままなにかに怯えて生きていかなければいけないのか。
(ハートをくれたユーザー:るる, ステエリ, ゆみ, ユコ, うみこ)
どこからが甘えで どこまでが障害者枠の権利 なのか、わからない
こういうことを考えること自体、甘えだとは思うけれど
(ハートをくれたユーザー:るる, うみこ)
映画マトリックスを見たとき、トゥルーマン・ショーを見たとき、あ、これ思ってたの俺だけじゃなかったんだ、って思った。
ここは架空の世界だったり、自分のことを世界のひとが見てるだけなんじゃないかと。
離人の発作が出たとき、さらに強くそう感じた。
目の前のものや人や風景が架空のCGの世界に感じられて、後ろを振り向くとそこはレンダリングされてない無じゃないかって。
だからマトリックスの世界観はとても納得した。
サトラレも納得した。
納得というか、あるあるというか。
妄想とは違うけれど、なにがほんとでなにが架空なのかよくわからなくなる。
(ハートをくれたユーザー:へなちょこ, 神有 珱, 銀座愁流, kt, サトパラリ, うみこ)
時々ひとに、共感力高い、と言われる。
だけど自分ではそう思わないし
むしろ自分はひとの気持ちがわからないと思ってる。
ひとの気持ちをわかろうとはするけど、汲み取れない。
もちろん他人だから結局はわからないのだけど、そういうことではなく。
でもひとの気持ちをわかろうとして、共感して、言葉をかける。
それってただの自己満足だと思ってる。
どこから本当に相手を思ってるのか、どこからがただの自己満足なのか、わからない。
その辺が発達障害とかアスペルガーたる所以。
昔、友達に、優しいし共感してくれるけど励まして欲しい時もある、と言われてから共感すること、優しい言葉をかけることが必ずしも良いことだとは限らない、むしろコンプレックスになっている。
でも自分にはほかのやり方はわからない。
ひとの気持ちもわからないのに。
(ハートをくれたユーザー:YOSHIE_K, うみこ)
自分は鬱なんですよ。
自分は仕事で鬱になりそうです。
自分は障害者枠なんですが。
何をどう言っても言われた方は、脅迫みたいに、もしくは甘えとして捉えてしまうだろう。
じゃあ言われるがままひたすら堪えなきゃいけないのだろうか。
どうすれば、何を、理解してもらえるのだろう。
鬱であること、注意欠陥があること、鬱でパフォーマンス出せる自信がないこと、技術にブランクがあって力が及ばないこと。
面接であれだけ訴えたのだがその時だけだったのだろうか。
(ハートをくれたユーザー:るる, ゆみ)