AtoZ 時々 鬱な日記

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ogp

未分類 2018年3月22日 木曜日 20:16:31

投稿内に画像が無いとき

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往日

未分類 2018年1月28日 日曜日 9:35:28

最近、過去の夢をよく見る。
主に大学時代の人や焦がれてた人が出てくる夢。
今までありとあらゆるフラグを折ってきたこともあって、目覚めるととても悲しくなる。
そして何日も引きずる。
今、なんでこんななってるんだろう、って。
自業自得でしかないのだけど、なんで肝心なところで判断を誤り、大事なこと、大事なみんなを失った、疎遠になった、んだろう、って。
後悔しかないし、常に過去を見て生きてる。
前を見なきゃ進めないのはわかってるのに、心身ともにズタズタに切り裂かれて思うように動けない。
病気、障害は重くなる一方で、選択肢はどんどん無くなっていった。
いつも、いつまでも、過去のある時で時間が止まったまま。
高校時代、大学で遊んでた時代、デザインに没頭してた時代、最初の職場……夢が叶ってた時代……。
いつまでも前に進めない

(ハートをくれたユーザー:ねり, 梟小僧, るる, サルルル(∪・ω・))

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養育

未分類 2018年1月20日 土曜日 11:32:15

父親は批判ありき、というよりも、批判しかできない、会話の全てが批判。
怒るべきだから怒るのではなく、
批判を述べるしかできないから怒る理由を探しているだけ。
しかも自分より弱い立場の人間、会うことのないテレビに向かってしかそういうことは言わない。
例えば昨日のことで言えば、
ニュースで新米教師は大変、というような内容の番組を見ながら、
「今の人間はデジタルばかり、子供と向き合うのにデジタルなんかあり得ない」
と言った直後、その教師は手書きの日記のやりとりを子供達としていて大変、ということに場面が切り替わると、「こんなアナログな仕事増やしたら大変になるのは当たり前、自業自得」などと言い出す。
さらに、「自分達の頃はもっと大変だった」という趣旨のことを絶えず言う。

高度経済成長期にただただ乗っかってバブルで設けて年功序列で上に行けた、楽な世代のくせに、と思うが、
そんなことを言うのはおかしいと自分で思う。
いつの時代もそれなりに大変なことには変わりはないから。
それを、常に「自分達の頃はー」「今の若い奴らガー」と言ってばかり。
何を言いたいのかわからない。
ああ、理由をつけて批判したいだけか。

加えて幼少の頃から機嫌にまかせてドアをドタンバタン閉める、家中響わかるくらいに。
それを母親が怒ると、本当に何故怒られているのか理解してない。
自分が何か悪いことをしてる、する可能性がある、ということを微塵も思っていない。

父親がしてきた「子育て」とはこういうことだ。
意識してようがしてまいが、自分達が思った通りではなく、してきた通りにしか子供は育たない。
そんな育て方をしてきた。
と言うと自分は子育てしてない、と言いそうだが、子育てろくにしない親ってあり得ない。

なんでこんなサイコパスの家に生まれてきたのだろう。

(ハートをくれたユーザー:るる)

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締めくくることなどできない

未分類 2017年12月29日 金曜日 9:17:28

一年を振り返るとか嫌いなのだけど今年はあまりにも散々だったので。

去年秋から始めた障害者枠での転職活動。
その中でweb系の一社を希望し応募した。
何度か面接を受けて行くうち、webに限らずクルマからプロダクトからグラフィックからいろいろできるということを買ってくれる、部長みたいな人がいて、自分も買ってくれるのなら、と思い転職を決めた。
それが去年の年末。

その間、初めてのライブ参戦となったねごとのライブ。その楽曲はBOOM BOOM SATELLITESの中野さんとのタッグでできたものだった。
ねごともBOOM BOOM SATELLITESも友達に教えてもらってずっと聴き続けていたバンド。それが、自分が転職という変化をすると同じくして大きな変化を遂げて、何か運命めいたものを感じた。

そして去年の夏にあった同窓会で高校以来ぶりに再会したひとと、年明けに会うようになった。
それは同窓会での写真をその人の実家に送ったことから始まった。
お礼としてお茶でも、という話になり二、三度ご飯を食べたり映画を観たりした。
これもまた自分の変化と重なり運命めいたものを感じた。

そしていよいよ転職したのだけど、最初の四日ほど出勤した直後、猛烈な恐怖から出勤できなくなった。
居場所がない、理不尽に怒られる、それだけではない、えもいわれぬ恐怖だった、とても出勤できなかった。
そして一ヶ月の休職。

その間に、躁転したのか、突然横浜に行くことにした。
大阪にいる、大学時代からの友達に会い、名車に会っていろいろ話した。
そして横浜着、小学生から見続けたあぶない刑事のロケ地をまわった。
ホテルに着いたとたん、メガーヌが壊れたが、高速の上じゃなくて良かった。
しかしそれであぶない刑事の聖地巡りは中断。

カーデザイナー時代の社長にようやく会いにいけて、いろいろ話した。
歳は若いけど、カーデザイナー時代ほんとに良くしてくれた、言わばお父さんみたいな存在。
懐かしくもあり、新鮮でもあった。
奥さんともいろいろ話して共通点が多くて面白かった。
ほんとにようやく会いに行けて嬉しかった。
そしてその当時の美容師さんにも久々に会えた。

そんな休職期間も終え、出勤日を迎えると、やっぱりとてつもない恐怖が襲う。
朝、会社の駐車場までは行けるのに、最後の角まで行けるのに、そこから怖くてどうしようもなかった。
新たに上長になったひとに、理不尽に怒られる日々だった。
何も教えられていないローカルルールに従っていないと怒られ、指示されていなかったことをやってなくて怒られ、かと言って気を利かせて先回りして何かをすると余計なことをするなと怒られ、
面接時に技術的にブランクがあることを伝えた上での採用だったのに、高度なことを、しかも納期が迫ってくる中でやらなくてはいけなくなり、出来ないことをまた怒られた。

そもそもデザイナーとして採用のはずだったのに、仕事はコーディングばかり。
しかもjsやcmsなど、ブランクがあるから着いていけないと最初に訴えてきたことを出来なくて怒られ続けた。
そしてADHD由来の簡単なミスが何度も重なりそれはまた怒られる原因となった。
そのうち鬱が悪化し何度も休んでまともに仕事が出来なくなった。

本当に毎日涙をこらえていた。
毎日泣きに行く、怒られに行く、ただそれだけの日々だった。
ついにまた駐車場から会社への最後の角を曲がれずに、病院へ駆け込み休職か退職かを勧められひとまず休職にした。
入院も考えるほどだった。
しかし休職中も気が休まることはなく鬱は悪化する一方。
辞めることを伝えた。

そこから一回も出社することなく退職した。
それでも気が晴れることはなかった。
役に立たなかったということ、こんなに早く辞めるということ、そんな罪悪感と、もう普通には働けないという絶望とで占められていた。
しかし働かなくてはいけない。
すぐに、その前の職場に戻るべく応募した。
一応面接などはあったけれど今すんなり戻れている。
辞めた会社にあった、最後まで拭えなかった違和感はここには無かった。
給料は安い、クリエイティブでもない、しかし今の自分はこんなことしか出来ない、仕方がなかった。

親にもなぜ転職を失敗したのかと問い詰められた。
そんなことを言われても、普通に働けないものは働けない。

今前の職場に戻ってきて、この一年何をやってたんだろうという後悔、自責が襲う。
去年の年末にまだ在籍していた今の会社で今年また年を越す。ほんとうに何をしてたのか何のための転職だったのか、わからない。
結局すり減った精神、普通に働けないことをはっきりさせられた絶望しか残らなかった。
またここまでして生きている意味もよくわからなくなった。

またこの年明けも家で正月めいたことが行われ、来年の抱負なんかを訊かれるのだろう。
一日一日、一瞬一瞬をやり過ごすだけで精一杯なのに、一年の抱負など思い浮かぶはずもないのに。
正月なんておめでたい雰囲気などこちらは微塵もない。
あるのはまた始まる一日に対しての絶望だけ。
それの繰り返し。

いつまで続くのか、続けなくてはいけないのかはわからない。

(ハートをくれたユーザー:はなもと, 梟小僧, ぎりさん, らりる玲ちゃん, たまごさん)

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浪費

未分類 2017年12月28日 木曜日 8:33:17

ここのところ抑えられてた衝動買いが酷い
大赤字を出した。
買ったものに対しては後悔することはないけど、金額で後悔する。
それとは別にクルマは壊れるて大金が出て行ったり。
いつになったらこの衝動買い辞めれるんだろう。
双極性障害とか発達障害が関係しているらしいのだけど、そんなのなんの言い訳にもならない。
浪費してることに変わりはない。
でも止められない。
一度躁になったら歯止めが効かない。
いつからかわからない。
どうしてこんなにお金にだらしないんだろう。
小さな頃から「ちゃんとしなさい」とは言われてきた。
でも物心ついた時からその「ちゃんと」を具体的に示されたことはなかった。
それでもちゃんとした風に装うしかできなかった。
それと関係あるのだろうか。
買い物はストレスのはけ口になっている。
ストレスの原因は家、夢の仕事を辞めてしまったこと、というより自分自身がストレッサーになっている、すなわち、生きていること自体が。
ストレスは永遠になくならない、生きている限り。
このストレスというのは、抑えられるものではなくてもう、明らかに病的なもの。
そして浪費も病的なもの。
どうしたらなおるんだろう。
何がなにやらもうわからない、どうしたらいいのかわからない。

(ハートをくれたユーザー:ぎりさん, るる, 梟小僧)

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愛慕

未分類 2017年12月2日 土曜日 7:43:22

ここのところ、好きなひと、今でもまだ好きなひと、が夢に出てくる。
夢の中では他愛もない会話やお出かけをしてるのだけどら
夢の中でも素敵なひとのままで。
だけど夢の中でもうまくいかない。
夢の中でも自分は不甲斐ないままで。
異性としてもなんだけど、ひととして好きだから余計に切なく苦しくなる。

(ハートをくれたユーザー:Noboru, はなもと, 梟小僧)

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古巣

未分類 2017年11月26日 日曜日 19:08:00

今年の初めに転職した会社をもう辞めた。
あまりにも酷だった。
一言で言えばパワハラだった、酷かった。
甘えだけど障害者枠なんて意味をなしてなかった。
精神のことは誰にも理解されないことを嫌という程思い知らされた。
面接の時から技術にもパフォーマンスにもブランクがあり限度がある前提だった。
毎日解らないこと、それを独自で、時間が押し迫る中やらないといけなかった。
訊いても怒られできなくても怒られる。
耐えられなかった。
働くことがこんなにも困難になるなんて思ってなかった。
でも働かないと生きてはいけない。
だから、また、仮なのかもしれないけど前の古巣に戻る。
やりたいこと…ですらなかったが…より、できることをする。
単純なオペレーションだから解らずに困ることはないし勝手がしれてる。
本来不本意だけど、今の自分にできることはもう無い。

(ハートをくれたユーザー:A, たまごさん, サルルル(∪・ω・), 梟小僧)

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誘因

未分類 2017年11月25日 土曜日 16:09:52

幼稚園の時、
クルマの絵を描いた。
「ぶっぶー」ではない。
「ランサーEXターボ」そのサイドビューをはっきり書いた。

父の難しい「自動車工学」という本を
小学生の時から勝手に読んでは怒られていた。

ミニカーが好きで、でも小学生にもなって、と
親に全て隠された。

外に出た時、通るクルマの名前は全部言えた。

——————————————————–

大学を決めるとき、クルマ関係と決めていた。
文系に転換までしてデザインをすることを選んだ。

デッサンから勉強して美術をかじった。
クルマの絵も描いた。
クルマ以外のデザインも勉強した。

大学は何枚も上手なやつらばかりだった。
でも負けなかった。
クルマでもそれ以外のデザインでも。
デザイン以外の理系の授業は散々だった。
大学院でもっと専門的に勉強したいと思って
なんとか親を説得して
でも、理系がネックで留年した。

留年して大学院、では出遅れる。
就職を選んだ。
就職の試験ではうまいやつらばかりで自分の世間の知らなさを呪った。

マツダに行きたかった。
無理だった。
メーカーの子会社をうけたがダメだった。

—————————————————

ある雑誌に載っていた、ある会社がカーデザイナーを募集しているのを、
友達が見つけて教えてくれた。
応募した。

その会社の専務に声をかけられ、
課題を出された。
死にものぐるいでこなした。
描いた絵の評価は悪かった。
でも、認められた。
面接して、社長にも気にいってもらえた。
嬉しかった。

———————————————–

小さな頃の夢が現実になった。

夢の中、現実は甘くなかった。
でも食いついた。
他にこんな仕事できるとこがないことを知っていた。
メーカーじゃなくてよかった。
小さなこの会社がすごく崇高な仕事をしている、と思った。

愚痴も多かった。
待遇もよくなかった。
実力のなさに何度もへこんだ。

土曜も仕事だった。
日曜はぐったりするだけの日々だった。
長期休暇も短かった。
もっと休みが欲しかった。

でも、
日曜の一日だけでも、ブランクを感じた。
絵を描く右手は大事だった。

待遇は悪く、よく「辞めたい」と愚痴った。
でもずっと夢が現実になった、その中にいるのはわかっていた。

———————————————————–

結婚することになった。
どっちかが仕事を、住む場所から変わらなくてはいけなくなった。

…「辞めてください」と言われた。

辞めることを決めた。
なぜすぐにこう決断したのか覚えてない…というか
…実はこの辺りから記憶はすでにあいまい…

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夢は現実になっていた。
それを捨てた。

プロダクトのメーカーを何社かうけた。
全部ダメだった。

中途半端だった。
新卒ではなく、でも働いて三年では、あまりに経験が足りなかった。

————————————————————

そんなとき先輩に、「会社を立ち上げるから来ないか」と誘われた。
ここならまた新しい夢をみられるかも、
と思った。
なにより、クライアントの会社にいた先輩は、
自分のチカラを知っていて、なおかつ、買ってくれていた。

でも前の会社に未練はあった。

ものすごく手をかけてくれて恩もあった。
いろいろまかせてくれるようになった矢先だった。

でも、もう辞める。

新たな夢を見ると思った。
現実は甘くないことも知った上で。

生き甲斐を変えるのだと思った。

————————————————————

仕事を変わって、現実はやっぱり甘くはなかった。

でも、新しい会社は、最初は厳しかったけど夢物語で終わることなく、
理想に少しずつ少しずつ近づいているのもわかっていた。

それでも、
それでも、
前の仕事は忘れられなかった。
やはり理想の仕事をしていたと思いしらされた。

でも、
仕事を
変わったことを後悔したくなかった。
新しい夢を見れそうだから。
今の自分を否定したくなかったから。

でも、
夢を現実に近づけたい、
そんな思いをよそに、
家では
「仕事」の理解は得られない。

————————————————————

仕事を変わったばかりのとき、
今までおつかれさま、も、
仕事を変わってもらってごめん、も、
何もなかった。
新しい会社は小さくて不安だから、
やばそうならまた転職を考えろ、と言われた。
最初が肝心だから、早く帰れるように最初からしておけと言われた。

————————————————————

妻が、俺の仕事を辞めさせてまでしがみついた自分の仕事に復帰してから、
子どもを保育園に迎えに行くのは俺の仕事になっていた。
早く帰ることが当たり前の俺は、
子どもの迎えを理由にした時、
会社でとがめられることはなかった。
あまりにも、当たり前になっていた。
新しい職種・ジャンル、
新しい職場、
新しい人間関係につかることは許されないままここまできた。
復帰後は、最初が肝心だから、家族はかえりみないほどに仕事にすると宣言された。
そのうち、朝保育園に連れていくのも俺の役目になっていた。
妻が出勤したあと、子どもに熱があることがわかっても、
なすすべもなく俺が休む。
俺が早く出勤したくても、残されているのは子どもの登園。許されなかった。

————————————————————

そんなことに
苛立ちをおぼえはじめたころ、
実家から絵が送られてきた。

幼稚園のときの「ランサー」。
今見ても、ランサー、と文字が書いてなくても、
はっきりと何の車かわかる絵だった。
その真っ赤なランサーの絵は、
今見るには辛すぎた。
こんな小さい時に大事にしてたものを捨ててしまった今では。
また明らかに心が揺れた。

でも今の仕事とくらべたってもうどうしようもない。
ただ、今の会社で、プロジェクトが終わっても、
充実感を得られたことはなかった。
それほどに、全てのプロジェクトでどこかの部分は誰かに頼んで、
迎えにいったり子どもの面倒をみて、
全てにうちこめなかった。

————————————————————

いつしかあるクライアントをまかせられ、
わからない技術を調べながらなんとかものにしていった。
それは、本流になるプ
ロダクトデザインではないジャンルだった。
その間、本流のプロダクトは誰かにまかせざるを得なかった。
未経験のジャンル、ゼロから本気で勉強しながらこなさないといけない。
片手間ではできない。
それが本流になる仕事ではないにしろ。
その間、まわりはプロダクトの知識をつけていき、
置いていかれる気がして焦った。
同時に、自分のしていることがこれから何かにつながるのか、
わからなかった。
仕事の「内容」の悩みだった。

————————————————————

それと前後して会社の人間関係が悪くなり、
体調を崩した。
それほど踏ん張れるほど、しがみつけるほどの何かが今の会社で得られていなかった俺は
この仕事の「環境」をきっかけに鬱になった。

————————————————————

前の仕事、それをやめたこと、
小さい時から積み重ねてきた軸がぽっきり折れ、
今の仕事で新たな軸に今からしていくこと…しごとの「理想」、
うまくまわっていなかった仕事の「環境」、
それらをふくめた仕事への「理解」。
どれも欠ければ平静は保てない、自我が保てない。

————————————————————

前の仕事は小さい時の夢だった。
夢をつかんで、
夢は現実になっていた。

それを捨てた。

それはもういい。

…新しい仕事で夢が見られるのなら。
事実、問題があったとはいえ、
理想の仕事に少しずつ少しずつ近づいていた。

前の夢は未練たらたらだけど、
それは今はまだ何かを体得してないからってだけ。
これから叶えていくのだ。
でもそのことの理解も得られなかった。

この「仕事」にかんする無理解が最初から積み重なってそもそも負担がかかっていた俺は
会社でのいろんな負荷に耐えられなかった。

————————————————————

誰かのために苦労することが
バカらしく思うようになっていた。
優しさも、
気遣いも、
できなくなった、
自分がされたことも感じなくなっていた。
感情もなくした。

生き甲斐がなくなった。

誰かの、夢を現実にするために俺がいて、
それは当たり前のこととなり、でも
俺は自分の夢をまともにみれないならば、

俺は
何のために生きたらいい

誰かのために、て言えるのは、
自分の中に軸があってこそ言えるのだ。

俺には言えない。

ケツメイシのトレイン、
Bump of chikenのハルジオン、
そんな歌の歌詞が心に刺さった。

————————————————————

もう誰かのために、 先回りして動く、とか
無理だ。
自分のことでせいいっぱいだ。
体調崩した今、
生き甲斐の仕事に打ち込むことがまたできない、
楽しかった仕事を楽しいと思うこともできなくなった。

自分の中の軸が、前の会社をやめたときに途切れてから、
軸がない。
もうぶれない軸を基盤を持ってる人のフォローは
たとえ小さな気遣いでももうできない。
自分の存在価値を自分で認められるまで
人の何も通じない。
そしてそんな全てが無くなってしまった心からうまれるデザインで
誰を魅了できよう。

そうなってしまった。
生き甲斐の「仕事」、その基盤を、自分の中の確固たるものを築かなければ、
自分の存在価値がないまま生きなければならない。
幼稚園で描いた絵、
今はとても見ることができない。
基盤を、人のフォローなんかより
自分の足場を、存在価値を見出さない限り鬱は続く。

夢が現実ではなく、また夢になっている今、
でも鬱でうまくまわらないあたまで、
思えることは、

自分て何。
仕事したいのに体調崩す前もくずしてからも制限がかかる。どうしようもない
徒労感
喪失感
自暴自棄
虚無感
自閉。
会社だけにみえるかすかな希望。
圧倒的にネガティブ。

鬱が治ることがあれば、
でもそのとき
昔の自分ではもうない。
感情と思考、記憶の欠落、
優しさ、気遣いはもうもどらないだろう

(ハートをくれたユーザー:十日自負☺, へなちょこ, 座草直接, 梟小僧, るる, もえ, ユコ)