未分類 2017年4月6日 木曜日 8:38:56
仕事はブランクが大きすぎて取り柄がない。
病気と障害でまともに思考も仕事もできない、ひとは離れてく。
家は相変わらずストレスの根源で居ることだけで疲弊する。
会社でも何をしたらいいか何を求められているのか何ができるのか、わからず居場所がない。
つらい。
存在すること、ただそれだけのことが苦痛でパニックを起こす
たすけてよ、、
(ハートをくれたユーザー:ななうみ, もちい, みい)
仕事はブランクが大きすぎて取り柄がない。
病気と障害でまともに思考も仕事もできない、ひとは離れてく。
家は相変わらずストレスの根源で居ることだけで疲弊する。
会社でも何をしたらいいか何を求められているのか何ができるのか、わからず居場所がない。
つらい。
存在すること、ただそれだけのことが苦痛でパニックを起こす
たすけてよ、、
(ハートをくれたユーザー:ななうみ, もちい, みい)
今さらプライドなんて持ってない。
多分最初の仕事を辞めたときに手放してた。
だけど、プライドはなくても惨めにならないわけじゃない。
あれはやったことは、あります。
これは知ってはいますがやったことはありません。
やったことはありますが専門ではありません。
そんなことばかりで、自分は何ができるのか、何かの役にたっているのか、
酷く惨めになる。
なんにもできない、何も得意じゃない、何の役にもたたない。
惨め、惨め。
(ハートをくれたユーザー:とふれ, snowflake)
図らずも自分のルーツを辿る旅になった。
福岡で大阪で、仲間でありライバルでもあったり、ほんとにやばい時かっさらってくれた。
小田原で、すぐに仲良くなれて、ブラックジャックや稲中の漫画を貸しあったり、ほんとうにいつも愉しく癒されてた。
そしてその小田原で、未熟者なのに育ててもらえてわがままもたくさんしてたのにほんとによくしてくださってた。
一週間たらず。
三ヶ所、4人と一匹。
なんて言うんだろう、満たされた。
心が洗われるってこういうことを言うのだろうか。
いや、久々に心が戻ってきた。
大阪で、元気づけようとしてくれるのがさりげなく上手で。目の肥やしにもなるところに連れてってくれたり。
でも真面目にはなしをしたり。
気負わずにいられる。
小田原で、駅前で大きな声で呼んでくれて、手を繋いでハグしてくれて。
相変わらず愉しく癒されて、その中でもいろいろ聞いてくれて諭してくれたりおとななものの見方してて。
相模原で、なん年ぶりになるだろう、なのに変わらない醸し出すにこやかなおふたりの雰囲気。
ピザを焼くなんて演出してくれたり、
自分のデザインしたものに乗れたり、
おふたりそれぞれのやり方ではなしを聞いてくれたり、共通点があったり。
小田原の帰りに二重の虹を見たり、
横浜に戻る途中でまた別のニアミスが起きかけたり。
ハプニングもあったけれど、それすらもなにかいい方向に捉えられて。
すべてが繋がるようで。
大事に思うひとたちなんだけど、
もっと大事にしたいな。
そして、大事にされてるな、と思った。
ひしひしと感じて、
嬉しさからまだ泣いている。
ずっと泣いている。
いい、涙。
ぽっかり空いていたところが埋まるような、
もしくは、汚れていたものが洗われるような、
ガチガチに凝り固まっていたものがほぐれるような。
そんな、感情。
そう、心が戻ってきた。
昔の居場所は、今でもまだちゃんと「居場所」としてあった。
だから、頼っていいんだな、って思えた。
来て、よかった。
この感覚、忘れずにいたい。
(ハートをくれたユーザー:のい, arcana, たけとま, さりとて, acha, 琥珀, 如月, snowflake)
もう働けない
休めと言われた
自分でももう無理だとわかる
でも自宅では悪化するだけ
行き場がない
なんのために転職したんだろう
なにをがんばってたんだろう
なにもかもおわり
(ハートをくれたユーザー:acha, 琥珀)
、ということばの無意味さ。
たすけて、とは、助かる道があれば必ず誰かが手を差し伸べてくれる、声をかけてくれる。そう信じる。
だけど、どうやったって詰んでるにんげんにたいしては何の意味も持たない虚しいことば。
本人ですら、どうやっても方法が見つからないんだから。
どうやったって「頑張る」「無理する」ことをしなくちゃいけなくて、
これ以上「無理する」ことなんてできないのに。
休む?お金ないよ、仕事なくなるよ、
そしてやっと掴んだ仕事も、たった4日で行けなくなって。
何度休んで働いて壊れてまた休んで、を繰り返せばいいの。。。
もうつかれた
(ハートをくれたユーザー:はいくま, はなもと, 琴鳩こころ, へなちょこ, 08, 琥珀)
出社たった4日だけして、休んだ。
会社近くの駐車場まで無理して行ったけど、
どうやってもそこから会社に行けなかった。
新しい会社が嫌とかそういうのではない。
もはや働くということ、社会というもの、それ自体無理。
どうやって生きればいい、
いや、なぜこうまでして生きなきゃいけないの。
(ハートをくれたユーザー:まいこ, たけとま, ユカ, はむかつ, るみこ, はなもと)
うつだか躁鬱だかわかんないけど、
その鬱の部分については、自分に関しては治らないと思っている。
花粉症が誰でもある時アレルギーのリミットがきて発症するように、
うつは、どうにもならないことにある時、もしくはだんだん、気付いてしまうこと。
生き方を変えれば、とか
好きなことだけすれば、とか、
そんな自分も認めれば、とか
頑張らないで、とか、
休めば、とか、
いろいろあるけど、
何をするにも尋常じゃなく「頑張らないと」いけなくなる。
ただ起き上がる、
ただ歩く、
ただ本を読む、
ただ予定がある、
たったそれだけのことを「頑張らないと」できないのに、
それが生きてくとか、働くとかなると、
考え方うんぬんでは、まったくどうにもならない。
心の病気とかではない。
心とは「状態」からだの「機能」であって、「器官」ではない。
だから、「脳の障害」。
考え方、変えたよ、
そんな自分を許したよ、
休んだよ、
なんにも、よくならなかった。
ただただ、治る可能性もなく終わるまで延々朝目が覚めた瞬間起き上がることから頑張らないと動けない、
からだもあたまも。
どんなに頑張っても人並み以下。
それなのに、好きなことだけして生活できるわけない。
休むのにはただ生きる以上にお金がいる。
絶望しかない。
その絶望に気付いてしまったこと、
そして気付いてしまったことを忘れることはできない。
(ハートをくれたユーザー:玲美, K*, へなちょこ, 琴鳩こころ, ゆうかふらい, 西川伊織, サルルル(∪・ω・))
うつだか躁鬱だか発達障害だか人格障害だか社会不安障害だかなんだかわかんないけど、
無理して頑張って生きることにつかれた、
つかれたというより、もう無理。
普通に働くことすらままならない。
働かなくちゃ生きてけない。
なのにまともに働けない。
働かないと諸悪の根源の実家を出れない。
なんでこんな無理して頑張って生きてなきゃいけないのか。
そりゃいいことあるし素敵なひともいる。
だけどそれを一瞬でチャラにするほどの苦痛で日々が埋まる。
息抜きしても終わった瞬間地獄。
そもそも息抜きすらできない。
もうつかれた。
終わりにさせてよ
(ハートをくれたユーザー:へなちょこ, 08, 西川伊織, サルルル(∪・ω・))
今日から新たな闘いが、また、始まる。
新しい職場、という、
新たな場所、馴染みのない顔ぶれ、専門性の高い仕事、、。
ただ、「居る」だけですでに闘いなのだが、
場所やひとに慣れ、専門的なことを学んでチカラにしないといけない。
そして仕事が終わればまた、実家という闘いの場。
仕事前こうしてクルマの中で過ごすことだけが唯一の居場所。
いつも、どこでも、ほかに居場所はなく、落ち着く場所はなく。
(ハートをくれたユーザー:たけとま, のい, へなちょこ, arcana)
大事に思う。
だからこそ、待つ。
ちゃんと相手を見て、信じていればいい。
一喜一憂もするけれど、
不要な疑心暗鬼にはならずに。
疑心暗鬼は相手を信じてないことになるから。
だいじょうぶ、大事に思ってもらえてるのは痛いほど感じるから。
(ハートをくれたユーザー:はなもと, まりン♡, 銀座愁流, arcana, MARJA, asleep, さなえ)
自分でかけた呪いはたぶん解けた。
いや、解けてる、気持ちが溢れてる。
だけど、先はどうやってもないことに気づいて、
愉しい時間との恐ろしく大きなギャップのある絶望に気づいてなみだが止まらない。
呪いは解けても、足枷は外れず、背負うものは大きすぎ。
そして何より気持ちだけではなんにもならないことを痛いほど思い知っているから。
さらにおそらくその気持ちは一方通行でしかないと、強く感じたから。
そして自分は抱えてる気持ち、
それをもってどうしたいのか、どうなりたいのか、どうすればいいのか、解らない。
(ハートをくれたユーザー:飯和家, のい, へなちょこ, Rider04, まりン♡)
家にいれば親の言動が苦痛で。
外に出れば漠然とした不安と孤独が襲い。
また仕事が始まれば仕事で苦悩する。
その時その場所で苦痛の源のフォーカス位置が変わるだけで、
苦痛から逃れる場所も術もない。
根本的にいろいろ抱えてしまってて
なにをしてもどこにいても安らぐ場所はない。
生きてる意味はあるのだろうか。
(ハートをくれたユーザー:サルルル(∪・ω・), あすか)
あさは、嫌いだ。
これからいろいろ始まってしまう、あさ。
嫌いだ。
ひるもなお、嫌いだ。
い続けなくちゃいけないひる。
嫌いだ。
よる。布団の中。
そこだけが自分の居場所だった。
ひとりになれて、何もしないことが許される、よる。
唯一許される時間。
それが、最近よるがダメになっている。
ひとりになれるんだけど、
その、ひとりであることが、つらくなっている。
ひとりではなんにもできないことに気づいてしまって、
誰かに支えて欲しくて、でも誰でもいいわけではなくて、でも、その誰かなんていなくて。
そしてよるは、結局あさをつれてきてしまう。
ずっとよるならば、、、少しは気が楽なのに。
明日がなければ、明日頑張るために誰かを欲することも必要なくなるのに。
(ハートをくれたユーザー:acha)
頑張らないとはどういうことか。
いま自分が頑張ってること、
働くこともあるけれど、
何に頑張ってるかというと、
苦痛、恐怖、それらに耐えることを、頑張ってる。
存在すること自体を、頑張ってる。
それを頑張らないでいい、となるとどうなるんだろう。
耐えなくていい?
逃げる?どこへ?
ちゃんとした逃げ場へ行くことも、頑張らないといけない。
反抗する?それってかなりの頑張りが必要。
そして理解は得られないことは証明済。
耐えることを頑張らないってどういうことだろう。
わからない。
存在することを頑張らなくていい、ってことは、さらに、わからない
(ハートをくれたユーザー:oharu_oharu, 西川伊織, arcana)
昔読んだ漫画のいわゆる名ゼリフで、
ひとの足をとめるのは、絶望ではなく諦観、ひとの足を進めるのは希望ではなく意志。
というセリフがある。
自分はこのセリフが大嫌いだ。
うつ、、なのか発達障害か人格障害か不安障害か、、とにかくこういう精神疾患になると、
意志なんていう作り上げた外側の殻なんて簡単に吹き飛ぶ。
考え方を変えれば、とか、悲観的にならないで、とか、聞くけど、
それは解ってるし、
考え方を変えることは、できる。
できてた。
でも病気になってから、そんな後付けの思考や理論武装は簡単に剥がれ落ちる。
残るのは生まれてから積もってきてる「無意識」だけ。
無意識は意識にのぼらないから、変えようがない。
変えたと思ってもそれは結局外側だけでそれはまた簡単に脆くも崩れ去る。
感情、思考のクセ、恐怖、悲観、
そういった無意識だけが表面化し支配する。
精神疾患てそういうものではないのか。
ふと、思った。
(ハートをくれたユーザー:acha, こばやしまこと, 西川伊織, 嘴, arcana, こゆき)
誰かと暮らすことはもはや叶わないから、
一人暮らしすること、この忌まわしい実家から出ること。
そのためにはふつうに働くこと。
働くには体調を少しでもよくすること。
体調をよくするためには遠因、元凶の実家から出ること、、、。
逃げ場を考えてたらループになった、、。
(ハートをくれたユーザー:acha, へなちょこ, icoa, 真紀)
友達は少ない
ほんとのことを話せる友達はほんとに数人しかいない
恋人もいない
家族は一番会話したくない
そんな人間は誰に頼ればいいのだろう。
毎日毎日四六時中同じひとたちに頼れば負担にさせる、疲れさせる
自分は頼られると嬉しいけれどみんながみんな同じではないしキャパがないときだってある
そしてなにより数少ない友達は、大切な恋人や家族がいる
そのひとたちをさしおいて四六時中頼れない
友達ってどうやってつくるんだろう。。
(ハートをくれたユーザー:ちどり, アンフラマンス, peco, acha, えみ, ぜんざい)
とにかくやりたいことができない。
しなきゃいけないことができない。
自分が得てきたことは、調べて試してもがいて、トライアンドエラーの繰り返しでなんとかかんとかものにしてきた。
試して調べて、行動して初めて実になったものばかり。
だけどいまは、その、トライ、ができない。
情報収集はするけれど、試してみなけりゃ身につかない。
その気力がない。
やる気はやり始めないと出てこないのは知ってるけれど、
やり始めても、我慢してやっても、気力がやる気が出てこない。
このままじゃまずい。
まずは、ルーチンしかしてない日々の生活を少しずつ変えなければいけない。気がする。
(ハートをくれたユーザー:はいくま, りむね, 嘴)