5日目にしてまた挫折
50. その他 2017年2月28日 火曜日 13:11:43出社たった4日だけして、休んだ。
会社近くの駐車場まで無理して行ったけど、
どうやってもそこから会社に行けなかった。
新しい会社が嫌とかそういうのではない。
もはや働くということ、社会というもの、それ自体無理。
どうやって生きればいい、
いや、なぜこうまでして生きなきゃいけないの。
出社たった4日だけして、休んだ。
会社近くの駐車場まで無理して行ったけど、
どうやってもそこから会社に行けなかった。
新しい会社が嫌とかそういうのではない。
もはや働くということ、社会というもの、それ自体無理。
どうやって生きればいい、
いや、なぜこうまでして生きなきゃいけないの。
それは、昔の愛犬。
近所のひとが何匹か連れてきて、その中から一番ひ弱な子を選んで引き取った。
自分が遊びから帰ったらすでに居て、名前も「キュン」に決まってた。
ほんとにひ弱で、気弱で、しばらく懐かず怯えていた。
だんだん慣れてきて、玄関をガラガラとあけると、尻尾を振って喜ぶようになった。
父親は犬小屋は作ってくれたが、
土を掘り返すから、と、すぐにまわりをコンクリで固め、
鎖も短くされた。
犬は基本的にその家の、男、特に家長を主人とみなす。
しかしキュンは明らかに自分を主人とみてくれてた。
実際散歩は日に二回、朝晩毎日連れてった。
キュンはなにより、あの家において、自分にとって癒しだった。
姉もそうだったろう。
ふたりとも、なんともなしに、キュンのもとにいき、遊んだ。
それに、短い鎖でつながれ、夏は暑いコンクリで固められ、
犬の本能的な行動である土を掘ることすら禁じられたキュンを大事にしたくて、
散歩の時は、家の前の急な坂を、
キュンが目一杯走れるように、一緒にダッシュした、キュンの方が速かったけれど、それでも全力で毎日走った。
公園で、誰も居ないことがあると、ひもを手放して、思い切り走り回らせたり、した。
ドリフトするくらい嬉しそうにずっとずっと駆け回ってた。
思えばキュンも、あの家で、閉じ込められいろんなことを禁じられてた。
幼少の頃はそこまで明確に考えてなかったけど、なんとなく、
散歩の時はできるだけ、走れるように、時にはゆっくりにおいを嗅がせるように、キュンにあわせた。
もし、キュンがいなければ、
おそらく、自分も姉も、もっと小さな頃からおかしくなってたと、
思う。
大学の時家から離れて、
時々帰ると、もうあまり走れないのに、
昔のように散歩の時はキュンは走ろうとしてくれた。
こいつ、なんて可愛いんだ、って思った。
Instagramなどで、ワンコの写真を見てて、ふと、キュンを思い出した。
2016.8.14
卒業して20年の、同窓会。
10期生、20期生、30期生が一堂に会するオフィシャルなもの。
今回初めて出席した。
同じクラスで、
卒業してからもちょくちょく会ってたり、
卒業してから連絡取るようになったり、
ほんと最近会うことができたり、
そしてこの同窓会でほんとようやく会えたり、
同じクラスでもほんと懐かしくて。
そして他のクラスにも、ちらほら知ってる顔が。
話しかけると、向こうも覚えててくれたり、向こうは覚えてなかたったり、
ふとしたところでばったり会っておー!久しぶり!来とったん!?なんて奴もいたり。
ホテルの会場で行われた総会から、二次会、三次会へとなだれ込み。
二次会では、ほかのクラスのひととたくさん話した。
そして中学一緒だったっけ!?ってひとがいたり。
で、帰って中学のアルバム見ると同じクラスやん!て判明したり。
なんせ、小中高ずっと一緒だった奴もけっこういるので、
誰がどこの繋がりだっけ?てなることしばしば。
帰りは、その、小中も一緒だった3人と一緒にわいわい帰ったり。
そして、同じクラスのみんなと集まると、ほっとするε-(´▽`)
なんか、落ち着く。
地元に帰ってきても、なんかまだアウェイな感覚があるんだけど、
それはやっぱ高校卒業してからずっと、地元を離れてたし、
帰省もあんましてなかったからだと思うけど、
高校のみんなと会うと、安心する。
オフィシャルな同窓会、しかも初めての出席ということもあり、
知らない人がたくさんいる、、、って、始まる前、すごく緊張してまた手の震えが出てきてたけど、
ひとり、ふたり、会って話し始めると、もうすっかりその気分。
ほんと、みんなに会えてよかった。
この機会に、仲良くなれたひともいて。
そしてやっぱり、クラスでもまた集まりたいな。
いつもいつもみんなこれるわけじゃ無いだろうけど、
じゅんぐりじゅんぐり、いろんなひととまた会いたくなった。
行ってよかった、ほんとうに。
1日経ってもまだ余韻にひたっております。
からだが重く、気怠く、眠い。
睡眠不足からくるものとは違う眠気。
と同時に常にそわそわ焦りや恐怖があり、
目を閉じても眠れず、落ち着かず。
かと言って何かできるほど動けるわけでもなく、
何かしたとしても眠くて手につかず、落ち着きもせず。
・障害者枠なり、いまのじぶんの体調の範囲で働ける。
・デザイン、できればプロダクト
これを両立する求人はない。
デザインでもWebならちょこちょこあるが。
デザインを諦めて働ける範囲のなんでも探すか、
無理して通常枠のデザイン職探すか、、、。
どっち転んでも先が見えてる、、またひどくなる。
詰んだ
寒いのではなく、冷たい。
手袋をしててもかじかむ指、
刺すような痛みのする耳、
キーンと聞こえるような静けさ。
200150411、大学の友達、S田の結婚式。
誘いを受けた時は喜んだ。
おお、遠いところに居るのに誘ってもらえるなんて、って。嬉しかったなあ。
待合室では、新郎側は全員外で待機苦笑。
H田がばっちりご祝儀袋に入れてきていてめっちゃしまった!と思った><
H田はできてる人だなあとしごく感心したよ。
逆にM谷の受付の仕方が斬新だった。
参列者一覧を丸めてあるひもが、ゴムかと思いきや普通の紐なのね。みんなもっかい丸めるのに苦労してた笑
そう、結婚式はもちろん福岡で。
大名のこじんまりしたチャペル、会場のある場所で。
小さなチャペルだけど、光が綺麗にとりこまれて、いいところだった。
いつもの忘年会に毛が生えたレベル、的なことを聞いてて、S田らしいなあと思ってたけど、いやいやいや、めっちゃちゃんとしてるじゃん!
式では新郎が参列者が持っているお花を集めてまわるという謎演出が斬新。
その時、まさかの俺が忘れられるというハプニング!
隣のKわちゃんがお花を渡してから、S田がお花を纏めて持ち直してるなあと思ってたら、そのまま向こうに向かって歩いてく、、、
ああ、忘れられた!めっちゃ悲しい!膝からガクンとなったよ!
思わず呼び止めた。
どうやらカメラマンと思ってたらしい。
確かに服地味だったしカメラ大げさだし端っこだったしね。
こういう時アドリブきかないのよね、俺。
S田も、登場前にちょっとテンパってたみたいだから余計間違えたかな。
そうね、せめて端っこじゃなかったらよかったね笑
その後、新婦を連れてS田が再び前へ。
神父さんもいて一通りの式を。
誓約書の猫ちゃんの拇印がめっちゃ可愛かった!
それにしても男の少ないことよ笑
確かに誘われた時、重要な男戦力やけん、とは聞かされてたけど!
ダンパの人とか俺の知らない人とか居るのかなあって思ってたよ。
でもS田のホントに仲良い人達が集まった感じ。
その中に誘ってくれてめっちゃ嬉しかった。
式が終わって新郎新婦が退場したら、クラッカーを鳴らしてください、ってスタッフさんに渡されてたんだけど、鳴らそうとしたら新郎新婦が大砲みたいなワインボトル型のクラッカーをこちらに向けた!
何それ、聞いてない!めっちゃ怖い!
参列者と新郎新婦と同時にBANG!
二人の大型クラッカー、金ピカの帯がたくさん降り注いでめっちゃすごかった!
その後そのまま外で写真撮影の時間。
新婦さん側の友人にまたもやカメラマンと間違われる俺。。。
一眼レフ持ってるけど、レンズもちょいデカイけど、そんな大したカメラでは無いのよー。腕も大したことないのよー。
そんなたいそうなカメラ?だったので、全員で撮った写真も俺のカメラでスタッフさんに撮ってもらった。
お食事はとても豪華でとても美味しかった!
料理の写真も撮ればよかったかな。
新郎新婦が参列者の席を順にまわるというスタイル。
二人はゆっくり食べられなかったみたいだけど大丈夫だったかな。
新郎新婦のプロフィールムービーは、そこここでざわつきが笑
Kんちゃん、M下、気づかんかったよー!
懐かしい写真もいっぱい。
俺の髪の毛がボッサボサでそういうとこ昔からだなあ俺。
忙しい中、何本かのムービーを作ったんだろうなぁ。すごい。
リーダーが前日、次の日まで仕事を依頼してたみたいで申し訳ないって言ってた。
でも友達同士で責任持ってお仕事依頼って素晴らしいなあ。
食事が終わって新郎新婦がお見送りしてくれた。
ブラックサンダーもらえたよ!
福岡感満載だよ!
これ、新婦側には伝わるだろうか。
時間をあけて二次会。
歩いて行ったらちょうどいい時間になった。
幹事がS田本人だったらしく、しかも正確な人数を言ってなかったらしい。どこに座るかちょっとモタモタ苦笑。
待ってたわけではないんだけど、飲み物が出てこなくて、新郎新婦が来た後にちょうど始まった感じ。
博多と天神の関係は、広島で言うと、市内と広島駅、みたいなもんという話が新婦の友人から出てきた。
おお、まさにそうだ、言われて気づいたよ。
そう、俺は安佐なんとか区です。
Mちゅんがもつ鍋を頼みたそうだった。
俺もできれば食べたかったけど、すでにお腹いっぱいだった。
なんかその後はたくさんたくさん話したなあ。
俺は日曜日を移動日にすると翌週動けなくなるので先に失礼しちゃった。
最後に新郎新婦とスリーショット。
S田が例のはっちゃけたピースをしてくれた。
と、帰る時にお店からケーキのサプライズ登場!
花火つき!!
最後にその写真を撮って退席しました。
新郎新婦が表まで見送ってくれて嬉しかったなあ。
帰りはそこそこのペースで帰りました。
誘ってくれてありがとう!
みんなにも会えて嬉しかった!
写真うまくなくて、しかもみんなをあまり撮ってなくてごめん!
改めて、S田夫妻、おめでとうございます!
まだ瓦礫だらけの会社のそば。
めちゃくちゃに壊れたクルマと家のサッシ
クルマがめちゃくちゃ
その奥はまだ土砂の堆積がひどい
山の上の方にも重機が行ってる。でも多分これが限界。その上はどうするんだろう。
旧道にバスが戻ってきた
線路沿いの家。どれだけ泥で埋まっていたかわかる
掘り起こされた路地
クルマが暴れていた路地、、、と思っていたら半分は水路だったなんて
山の上からここまで一気にまっすぐ土砂が襲ってきたのが解る。恐ろしい
そして会社は20mくらいしか離れてない。
毎朝会社に行く時に、目の前に崖崩れの山が見える。
本当に目の前に何本も崩れた場所が見えるから恐ろしい。
たとえ下の土砂を取り除いたとしても、山のかなり上の方から崩れてるからそこをどうするのか心配でならない。
どうかもう崩れませんように。
だいぶ上の方から崩れている。上の方にも重機が入ってる
まだ泥に埋もれた路地
すさまじい衝撃だったのがわかる
自衛隊が人海戦術で路地の土嚢を運び出す
まだ踏切に流れ込む水
復旧したとはいえ、泥に埋もれている枕木
捜索、救助活動に集まる消防隊員
土砂を運ぶトラックが行き交う
54号線からズームで寄る。また今にも崩れてきそうでこわい。
復旧した可部線。日常が少し戻ってきた。
会社から見える範囲では少し片付いてきたかのように見える。
一見して側溝の上の土嚢がかたづけられたり、側溝じたいも奇麗になったりしてる。
でも相変わらず猛烈な土臭さだし、山を見れば荒々しく削れている。
そして一歩路地を入ればまだまだ泥に埋まっている。
とても普段の生活にはほど遠い印象。
まだじゃぶじゃぶ水が流れ出てきている。これがまだ山の上にあると思うと恐ろしい。
クルマの山だったところはさすがに掘り進められてない。
1m近い段差。ここ一帯これだけの量の泥が流れてきているのは恐ろしい
重機の幅だけ掘り進められた路地。
その奥はまだ手つかず
午後、一時的にだけど猛烈な雨が降ってきた。恐ろしくなる。
今日はちょっとクルマに乗ってみようと思っていつも通ってたルートをまわってみた。高陽から高校の前を通って筒瀬に抜けて太田川橋までぐるっと。そしたら災害のあった場所は避けたつもりが何箇所か崩れてる。毘沙門台でも筒瀬でも崩れてこっちは通行止めになってた。あの山の周囲がぐるっと崩れてる。
筒瀬の大規模な土砂崩れの場所は、全くの手付かず。
人もおらず、交通量も少ないからか人出がまわされてない様子。
筒瀬の採石場のそば。毘沙門台から筒瀬に抜ける峠道を下りてきて太田川にぶちあたった交差点を右に曲がったところ。ここが大きな大きな土砂崩れがおきていた。
目の前が土砂崩れで道がふさがれているなんて初めての経験でショッキングだった
離合しなければ通れない場所を通り抜けて目の前がひらけると、、、、道路に立ちふさがる土砂
この写真の右上の山から一気に道路を通り越して川まで土砂崩れ
対岸から見たもの
小さい緑の縦長の四角い物体は大型バスを社屋?にしていたもの。土砂崩れの規模がわかる。下は川。
山のかなり上の方から一気に川まで。。。
よく、復旧に向けて、という言葉を聞くけれど、復旧作業をしている、というより、まだ救助、捜索活動をしている、そのために泥や水をどかしている、といったように感じられた。
泥をかきわけ奥へ進めば進むほど、惨状があらわになっている気がする。
路地の中ではまだ家の中から泥をかきだしているところ。路地じたいはまだ泥で浸かっていて、その泥の上を通らざるをえない。
そうして泥の上をずぶずぶ歩き、警察や自衛隊や消防、ボランティアの人たちが活動をしている。
重機でかきだそうにも、泥があまりに一面に深く堆積していて、いまだどこから手をつけたらいいのかわからいない状態。
背筋が凍る。
54号沿いの古川の河原の草木で、反乱した様子がわかる
旧道の裏の路地でタクシーに乗る報道。このまま大通りへ出て帰るのかと思いきや、混雑する路地を被害のより大きな梅林方向へ向かって行った。歩けよ、タクシーなんかで被害の大きなところへ行くなよ、と思う
会社裏の側溝はきれいに掘り返された
また崩れやしないかと、見る度に恐ろしくなる。
それでも救助、捜索の人の陰がたくさん。危険を顧みず捜索している。。。
会社そばの側溝。積まれていた土嚢は取り除かれたが、まだ側溝が泥で埋まっている状態
八木3丁目に入ったあたり。物置が倒れている。猛烈な力。
あふれかえるクルマ
昨日から10mほど掘り進んだ路地
水没している踏切。踏切を渡った道は歩くとずぶずぶ沈む。数十cm泥がつもっている
うずたかく積まれた土嚢
え!?
めちゃくちゃになったクルマ。。。ほんとうに恐ろしくなった
玄関から出入りすらできない
埋もれた道路の脇だけ泥をかきわけて水の通り道にしている
集結する警察。神奈川県警や警視庁までいた。全国から集まってくださっている
その奥には埋もれたクルマ
軌道上を走れるトラックが連なる。架線も点検していたし工事は進んでいるのかも
今日はお昼に会社(緑井8丁目)から少し梅林寄りの方へ歩いてみた。
ほんの数十m歩いただけで景色ががらりと変わった。
恐ろしくなった。
会社はほんの数十mの違いで助かっていたようで。。。
いまだ埋もれたままの側溝
消防の人海戦術
会社からほんとにたった数十mいったとことは、、、
猛烈な泥の堆積で行き止まりに。。。軽く1mはつもっている
泥で持ち上げられたクルマ
激しく反乱していただろう泥で滅茶苦茶に流されているクルマ
完全に泥に埋まっている。このあたり一帯、この有様。自分が歩いているところは、地面から数十センチ浮いたところなのだ
激しい泥の流れがあったことがわかる
1m以上掘り返された道路の泥。かきわけても運び出せないのかここで止まっていた
本来入り組んだ路地をぐるっと廻っ手こないと入って来れない路地、そこに重機やトラックが入れないので、ガードレールをあけて線路をつっきって重機の通り道をつくっていた。よって可部線の復旧はまだ無理
会社から100mほどの隣の踏切。まだ水没している!
たった100m離れただけでこんあ惨状になっているとは。。。
泥に埋もれた会社
流木もある
事務所内も浸水
道路と敷地の先目が消えている
倉庫内も浸水
タップ類も浸水
どこからがどこなのかわからない状態
上の方にも重機が入ってきたよう。
54号線沿いに集結している消防隊
通信用の車両かしら
対策本部の裏
まだ混沌としている会社前
交通整理の人たち、無線を使うようになってた。装備がだんだんそろってきたのかな
可部線の復旧。でもこの先はまだ水没してるとか。
まだ土に埋もれている側溝
優先的に作業している側溝。ここが流れないと次に流れてきたとき大変なことになる
でも会社裏の側溝はこんな。水面と道路の境目がない。
一歩裏に入ると手つかずの状態。
ガードレールの裏、土嚢が積まれている場所は実は側溝。土で埋もれている。
一本裏の路地は片付いていない。
山に入って行く消防隊。
広い駐車場やなんかは全て土砂の堆積場になってる。
土煙で向こうが霞む。
可部の方の山も崩れている。
災害対策本部。
本部に並ぶ自衛隊車両
城南中学校が自衛隊の野営地になったっぽい。
高瀬堰付近から見る芸備線。トンネルの出口が崩れている。今は復旧している。
家のすぐそばから被災地の山を見る、、、
、、、カメラで寄ると、傷跡がはっきりと。
高陽東高校付近から望む象山。ここからでもはっきりと傷跡が見える。
太田川対岸から。こんな高いところから崩れてたっけ。
後ろに自衛隊車両が。
可部線の復旧が本格的に始まったか。
会社前のどぶ川。これだけ埋もれていた。
会社裏の駐車場をきれいにしてくれた
20日未明から、5日経った。
会社の周りはまだ全然何も進んでないかなというくらいひどい有様。
その中でも、54号の旧道は泥が無くなり、重機の数も増え、ボランティアとおぼしき人々の数も増えた。
太田川の対岸からも見える土砂崩れの跡が恐怖。
太田川対岸からも見える傷跡。
これも太田川対岸から。
会社そばの54号から。会社の真上が削られている。恐ろしい。
会社前。
会社裏駐車場。1.5mくらいの泥の山
会社裏の側溝というかドブ川。左は水面が見えてきているが、右の奥の方は完全に泥に埋まっている。深さ1.5mほど。
道路の土砂をかきわける人たち
会社前。積み上げた土砂は流れると危険なので土嚢を積んでいる。
泥で流されたであろうクルマが運ばれていた
うずたかく積まれた泥
会社前から山へと入る道。手前も奥も泥。ガードレール右は本当はドブ川。
会社前から見える土砂崩れ
会社そばのコンビニも土砂堆積場に。
線路はまだ復旧せず
報道のヘリは減ってきた
まだ泥で埋もれたままであろう線路
ここの側溝は泥がかきだされている
しかしすぐそばは完全に泥に泥で埋もれている。深さ1.5m以上
会社から裏に入った路地
本来水が流れている場所
奥は水面が見えているが手前は完全に泥で埋もれている
道路は片付いたよう
堆積場になった会社の駐車場
すぐそばのパチンコ屋が本部っぽい
集まる自衛隊や消防
集まる消防隊
トイレを開放しているガスト
トイザラスに集合する自衛隊員。これから出動か。